木下 紗玖良さん
キャセイパシフィック航空
フライトアテンダント職
常翔啓光学園高等学校を2016年3月に卒業後、同志社大学グローバル地域文化学部グローバル地域文化学科に入学し、2022年3月卒業。建設会社勤務後、2024年にキャセイパシフィック航空フライトアテンダント職に採用。
- Q.学園⽣だった頃の将来の夢は?
- 実は、最初は空港の地上勤務を志望。当時は⾶⾏機が不安で「機上での 仕事は無理!」だと思っていましたね(笑)
- Q.当時、はまっていたことは?
- ⾼校時代は、K-POPが⼤好きでした。ダンスの振り付けも参考にしてい ました。

- Q.どんな部活動をしていた?
- ⾼校時代はダンス部に所属していました。副部⻑になって部活を盛り上 げていました。
- Q.印象に残っている思い出は?
- 中学3年⽣のとき、修学旅⾏でオーストラリアに⾏ったことです。海外へ の興味を後押ししてくれた体験でした。
- Q.学園⽣活で楽しかったことは?
- 体育祭です!応援団に⼊って踊ったり、⾼校3年⽣では振り付けも担当し ました。
- Q.当時に戻れるなら何がしたい?
- 常翔啓光学園での時間は本当に楽しかったので、もう⼀度、同じことが したいですね。
- Q.学園⽣活で苦⼿だったことは?
- 球技⼤会があるのですが、ドッジボールが下⼿で(笑)みんなに迷惑を かけてしまいました。
- Q.当時の⾃分にかけたい⾔葉は?
- 当時の⾃分があって、今があると信じていますので、「そのままでい い」ということです!

好きな英語を活かしたい。世界中の人と交流したい。そんな気持ちから高校時代にエアライン業界に憧れるようになり、大学では多文化共生について学びました。今は、その夢を叶えて客室乗務員として働いています。
勤務のベースは香港。主な仕事は、国際線のお客様に向けた機内サービスのほか、機内の安全確認や緊急時の避難経路の確保などの保安業務を担っています。日本、韓国、中国、香港、タイ、インド、マレーシアと、多国籍のクルーと共に働く毎日は刺激的で、多様な文化に触れることで日々新しい発見があります。国内で働いていては、体験できない日常を過ごすことができていると思います。
常翔啓光学園中学校へは、ラグビー部の兄を慕って入学し、青春時代を過ごすことになりました。入学当時の私は優等生とはほど遠く、成績も下から数えた方が早いほどでした。
ただ、そんな中でも英語の勉強は楽しく、比較的成績も良かったです。また、不思議と中間テストなど校内の試験に比べて全国模試の点数が高かった記憶があります。周りの先生方は、どんな質問にも丁寧に答えてくださる方ばかり。熱心なサポートのおかげで、中学3年生で特進コースに進めることになりました。「良いところを伸ばして、生徒のやる気を引き出す」。そんな考えの恩師に支えられて学校生活を送ることができたと感じます。
高校時代は、学内のダンス部に所属。さらには、体育祭の応援団など、さまざまな校内イベントで中心的な役割を果たすようになり、何事にも積極的に行動するようになりました。
特に印象に残っているのは、高校3年生で「啓光祭(文化祭)」で実行委員に立候補した時のことです。クラスで2人選ばれることになったのですが、自ら手を挙げ啓光祭の運営に携わることになりました。委員として模擬店の企画を考え売り上げ計画を立て、買い出しも行うなど、先頭に立って活動したことが懐かしく思い出されます。
「誰かが困っていたら手を差し伸べる」「何事にも自分が率先して行動する」といった客室乗務員に必要な素養が、常翔啓光学園での日々で、より一層育まれたのでは…。振り返れば、そんな風に感じます。
高校卒業後は、英語力を活かして航空業界で働くことを目指し大学に進学したものの、コロナ禍で志望業界への就職はいったん諦め他業種の企業に就職。2年半の社会人生活を経て、念願の客室乗務員の職に就くことができました。
常翔啓光学園には、生徒が「これをしたい!」という気持ちを全力でサポートし、後押ししてくださる先生がたくさんいらっしゃいます。社会に出てからも夢を諦めず挑戦する気持ちを持ち続けることができたのも、そんな恵まれた環境で6年間を過ごすことができたからだと思います。
茂福 康平さん
株式会社レークケア 甲賀みえる薬局
薬剤師
常翔啓光学園⾼等学校を2016年3⽉に卒業。摂南⼤学薬学部薬学科に⼊学し、2022年3⽉卒業後、株式会社レークケアに⼊社。薬剤師として勤務し、2024年度から滋賀県甲賀市を含む周辺地域のエリアマネージャーを兼務。
- Q.学園⽣だった頃の将来の夢は?
- 薬剤師になりたいと思っていました。担任の先生に勧められたことが きっかけでした。
- Q.当時、はまっていたことは?
- 中学時代は野球部でしたが、高校では草野球チームを創部。今でも 高校のメンバーと集まります。
- Q.学園⽣活で楽しかったことは?
- 中学時代の沖縄の修学旅⾏での体験です。カヌーに乗ったりして、 すごく楽しかったです。枕投げもやりましたね(笑)
- Q.学園⽣だった頃の将来の夢は?
- 担任の先⽣のすすめがなければ、医薬業界に⽬を向けていなかったと思 います。先⽣のおかげで勉強も頑張れました!
- Q.当時、はまっていたことは?
- 中学から野球を始めて、競技の魅⼒にはまりましたね。⾃分でプレーするのも観戦するのも好きになりました。
- Q.学園⽣活で楽しかったことは?
- 中学時代の沖縄の修学旅⾏での体験です。カヌーに乗ったりして、すごく楽しかったです。枕投げもやりましたね(笑)
- Q. 印象に残っている思い出は?
- 体育祭で⾏われる“啓中ソーラン”でしょうか。3年⽣が教えてくれるので すが、上級⽣と交流できてよかったです。
- Q.当時に戻れるなら何がしたい?
- 英語をもっと勉強して、語学⼒をつけておけばよかったと思います。
- Q.当時の⾃分にかけたい⾔葉は?
- 「⽬の前のことを、全⼒で楽しもう」。そんな⾵に声をかけたいですね。

現在、滋賀県の甲賀市の薬局に薬剤師として勤務。地域のクリニック前にある薬局で、処方箋に基づいた薬を渡したり服薬のアドバイスを行ったりなどの業務を行っています。ここは、田園地帯が広がるのどかなエリアで、当社の薬局が地域唯一の調剤薬局。医療に関わるインフラとして大切な役目を果たしているため、お年寄りなど外出が困難な方の自宅にお薬を届けたりもしています。
もともと実家は枚方市で、今は一人暮らしで自炊しながら生活しています。最初は縁もゆかりもない場所で働くことになり慣れない暮らしに戸惑いましたが、最近は地元の方々とも顔見知りに。外出時に道端で声をかけていただいたり、すっかり地元に馴染んでいます。入社3年目には甲賀地域のエリアマネージャーにも抜擢され、薬剤師と兼任しながら、薬局スタッフのマネジメント管理を任され忙しい日々を送っています。
常翔啓光学園を志望したのは、オープンスクールでの出来事が強く印象に残ったからです。当日、学校の敷地の内外で生徒が皆、見ず知らずの私たち親子に明るく元気に挨拶してくれる様子に、母とともに感動。「こんな仲間と学校生活を送りたい」と考え進学を決めました。実際、常翔啓光学園では、先生方から、ことあるごとに「挨拶しましょう!」と指導されます。そのおかげで、どんな時でも笑顔でしっかり挨拶を行う習慣が身につきました。
今の職業に必須のコミュニケーション能力が培われたのも、常翔啓光学園での経験が後押ししたと感じています。中学では、未経験ながら野球部に入部。当時は創部から間もない時期で、戦力も整っていませんでした。「最後に大会に出場して1勝する!」という高い(?)目標を掲げ、日々練習に取り組み、最終学年には大会に出場。残念ながら試合には負けましたが、人が支え合うことの大切さを身にしみて感じることができました。こうした野球部での経験を経て積極的に人と交流できるようになり、今日につながる素地を形づくることができたと思います。
高校では、2年生から理系の進学コースへ進みましたが、最初は理系の仕事に就きたいと志望業界も漠然としていました。進路指導の際に、先生から医薬の営業職であるMR(医薬情報担当者)が向いているのではとアドバイスをいただいたことで、将来像のアウトラインが描けるように。暗記が苦手で必要な知識を覚えるのに苦労しましたが、先生から「暗記はトレーニングだ!」と叱咤激励され必死に努力した結果、薬学部に進学することができました。その言葉は社会人になった今でも心の中に生き続け、薬剤師としての支えになっています。
大学に入ってMRから薬剤師に方向転換したのは、地域に密着して人々のために役立ちたいと思うようになったからです。その意味では、思い描いたキャリアを歩んでいると感じています。これからも甲賀に医療で貢献し、ゆくゆくは生まれ育った枚方に恩返ししたい。そんな目標を持って頑張っています。